釈迦牟尼尊者
キャパシティを超えるスケールに恐怖や畏れを抱くのは
ごく当たり前のことなのかなと、なんとなく思えて
それが巨大な何かに対してのものではなく、
自分が小さくなるような心細さからジワジワ溢れて来る
救いを求める感じなのだと。
それは単純な巨躯、群れ、建造物や自然現象など
そのスケールは映像だけでなく音であったり温度であったりと
さまざまな方向から自身に迫りくる…
そういうものを、何かのカタチにするには役者がいるワケで
釈迦如来を大きく見せるなら星が丁度よさげ。
もうどうしようもなく巨大で、”世界”とか”摂理”とかそういうものを
遥か超越しそうなスケールっぽさをカタチに求めた時、
結局、超新星やその逆みたいなところに落ち着く。
それがどうも気に入らないやら踏ん切りつかぬやらで、
偶発的なものを探って10年経ってた。
それが最近、なんとなくカタチになりそうだったので
そっと、すきま風に浮きあがった綿ぼこりをつまむように
ちょっとずつ描いていく。