遊々記

pixivのキャプション代わりとか個人的なアレとか

釈迦牟尼尊者

syakamuni

キャパシティを超えるスケールに恐怖や畏れを抱くのは

ごく当たり前のことなのかなと、なんとなく思えて

それが巨大な何かに対してのものではなく、

自分が小さくなるような心細さからジワジワ溢れて来る

救いを求める感じなのだと。

それは単純な巨躯、群れ、建造物や自然現象など

そのスケールは映像だけでなく音であったり温度であったりと

さまざまな方向から自身に迫りくる…

そういうものを、何かのカタチにするには役者がいるワケで

釈迦如来を大きく見せるなら星が丁度よさげ。


もうどうしようもなく巨大で、”世界”とか”摂理”とかそういうものを

遥か超越しそうなスケールっぽさをカタチに求めた時、

結局、超新星やその逆みたいなところに落ち着く。

それがどうも気に入らないやら踏ん切りつかぬやらで、

偶発的なものを探って10年経ってた。

それが最近、なんとなくカタチになりそうだったので

そっと、すきま風に浮きあがった綿ぼこりをつまむように

ちょっとずつ描いていく。