遊々記

pixivのキャプション代わりとか個人的なアレとか

拝顔のススメ

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西遊記を漠然とつまらなく解釈するなら、

それは「仏教のCM」なんじゃないかと考えた時期があった。

じゃあ仏教にも触れてみようと思い立ち

お寺さんに出かけてみたり、その手の本を手にとってみたりと。

爺さまの影響で道祖神や神社には馴染みがあったが、

仏教も似たような雰囲気ではあるんだなと、何となく納得したもんです。


今日、『萌えブーム』到来の余波は、

なんと仏像の世界にも押し寄せているそうで

モデルのハナちゃんもそのうちのひとりだそうな。

仏像の中で最もメジャーなものといえば『仁王像』ではなかろうか

くわと開いた口に怒号を思わせる"阿形"、

きりと真一文字に閉ざした口に怒りを含む"吽形"…

幼心に畏怖の念を覚えた人は多いことだろう。


仏像の多くは、柔和な表情で我々を見つめる。

その真意は如何なるものなのか…と仏像を見上げて想うに、

彼らは我々にとって親のような存在なのではあるまいか。

なんか語弊がありそうだが、

何と言うか、赤ちゃんが母親の顔を眺めて

その表情を真似しようとするような、そしてそこに安心を得ようとするような

そんな感覚にとらわれる感じがしてくる。

明王の憤怒相からは、"怒りで我を忘れんなよ"という

雰囲気がビシビシ伝わってくる。


いつの頃からか薄れてしまった、"畏れ"という気持ちが

カタチを変えて心に戻ってくる事がある

誰に倣うでもなければ、仏像に倣うのもいいじゃないか

乱れる心なら観音に、怒れる心なら明王にと。

自分を叱ったり諭したりってのは、しているつもりで終わる事もある

良いお顔の仏像を拝顔すると、無意識のうちに自分を叱れるものなのかもしれない。