敵対者のススメ・後編
いくつものお話が組み立てられて、ひとつの物語ができあがる
西遊記もきっとそんなオムニバスだった時があったんじゃなかろうか
それでも、せっかく組み立てられたものを分析してみようってのは
それこそ野暮な話ってもんです
しかし好きだからこその野暮ってのも、ままある事かなぁと。
正体不明の何か。
それは自分自身に対するアンチテーゼ、「どうにかしなくては!」と思わせる
不安のカタチそのものではなかろうか
またその手の何かってのは存在そのものが、あらゆるモノに対しての
敵対者になりうると、そう思ってんですよ。
…あれ、結局これ言いたかっただけっぽい
前回、前々回の記事がアレすぎて恥ずかしいので
ここいらでハラソーギャーテーボジソワカっと!