遊々記

pixivのキャプション代わりとか個人的なアレとか

キャッチコピーの是非

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ゼロからキャラクターイメージを作り出すのは骨が折れる、

だもんで、様々な分野にアンテナをはり続けた

友人との雑談、与太話さえその範囲の外ではない

とにかく何とかカッコつけなければ!とか躍起になったもんです。


ある程度イメージが定着すると

人相や姿勢、声の質だとか仕草なんかも想像し易くなるのではと

カッコつけ対策として「コピー」をつけてみる事にした。

西遊記でも仰々しい文句をつけて気分をあおる事があるが

厨二キャラは、より簡潔なものを意識してまとめつつ

文言の使い方をころさずにおきたいなと。


コピーは、イラストでなく文言でキャラクタの背景を描ける手段だと考える

そのワリにはどっかで見聞きしたようなのがちらほらで気が滅入る

ままま、何しろそれらしく見えるじゃないですか、青臭いけども。

その青臭さは、ムズ痒さであると同時に心地よさもあると感じる

便利な表現ではあるかなと。

ごくごく個人的な「燃え」とか「萌え」の類いなんじゃないかな、これは。


*"銃爪"はツイストの曲名。これで"ひきがね"と読ませるそうな。
    当時そんなぶった切りな表現だとは思わなかった、てっきりそういう読みなのかとw
    キャラクタ名の「赤井」と「赤い」をかけて組み合わせ。

思い立ったら即、模索

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ヴォルデモートは蛇だよという予備知識だけを頭に、

今更ながら映画のハリーポッターシリーズを観たんですよ。

なんかずっと観入っちゃった。

例のヴォルデモートのお姿は〜と観てると、なんかでてきた!

鼻、鼻はどうなってんだ!?と観察してみると、

シルエットがあるような無いような…?


蛟魔王をイラスト化するにあたって、蛇ヅラをどう描いたもんかと悩んだ

特に鼻。

一応の格好はつけたつもりだが、もっと何か上手な表現があるんじゃないかなと。

ヒトガタの胴体に蛇の頭をそのまま乗っけるのは最終奥義としておいて、

もうちょっと悩みたいなと、ページをラフで埋めつつ試行錯誤

ミニラになったりガチャピンになったりしつつ何とか完成した。


この件でヴォルデモートから得られたヒントは、鼻のシルエットかなと。

それを蛟魔王の鼻孔のカタチにあてがってみてはどうだろうか…と描いてみたら

何だこりゃwww

迫が付きすぎてダメっぽい、もっとヌメっとのっぺりした描き方にしてみたら

理想に近づくのかもしれないな〜とかで落書き。



しかしヴォルデモート似てねぇw

鋼鉄嗜好

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近所のスタジオに行って来た。

ドラムの子と一緒にリハビリ開始、ようやく調子がでてきた所で時間切れ

無心にただ合わせてギャンギャンやるのは久しぶりで、首肩腰にガタが!

こっちの活動といえば、来月から本気出す精神で年末になってしまった

鋼鉄魂も、錆びがついてりゃ世話もないって事すな。


昨今、シンフォニックメタルだとかメロディックメタルが注目されてるとか

…いないとか。

キャッチーなフレーズやファンタジックな歌詞などで構成されているそれらの

理解の敷居というのは、割と低くとっつける雰囲気ではあるが

デスメタルスラッシュメタルといえば、そのアグレッシブな印象からか

反応はイマイチというかもっぱら引かれがちで…でで

しかし、どちらも素晴らしい芸術性が込められたジャンル、

多くのメタリストから支持され、愛されている事に相違ない

一般的にヘヴィメタルのような風変わりなジャンルは

こと敬遠されるものかも知れないが、

そこにはモーツァルトよろしく、クラシックのような印象すら持てるものだと。

鋼音!

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けいおんブームの影響で(?)初心者用レプリカ楽器が店頭に陣取って1年、

イケイケの学生さんはもとより、興味本位で立ち入ろうにも

楽器屋の敷居みたいなモノもとりわけ下がったのではなかろうか

近所の楽器屋でも、初心者歓迎のポップとキャラクタのパネルが

レスポールムスタングのレプリカはここですよと異彩を放ち

ごく普通の学生さんがパンフレットなどを手に手にとる姿もちらほら。

そもそもモテたいから楽器を持った人間としては、

興味本位もへったくれも無いワケですけどどど

90年代前半、バンドブームも下火になりつつあったとはいえ

ごく限られた活動範囲の学生たちにとって

どんなに小さいライブハウスでも激戦区であった

そんな中、モテたいから〜で乗り切れるほどバイタリティは続かないって話ですよ

何かに対して、常にバイタリティのある人間でありたいもんです。

ナントカtree in pot

tobira

さんざん好き勝手にキャラクタを泳がせておいて何だけど

原典に則って動かしてみれば、そりゃ矛盾も不都合もでてくるワケで

あの頃の自分はこれらのキャラクタをどうしたかったのかと

ピクシブ始めて以来、よく想う。

インターネット使うなんて夢にも思わなかったが

携帯電話端末の普及と性能の向上であるとか、また、

昨今の職場では当たり前にパソコンがあったりで

趣味の活動に利用するにあたって、スムーズに事が運ぶ場合もあり、

客観的なモノの見方というものを意識するようになった。

その客観視みたいなものが、趣味の質に影響を与えた結果

腑に落ちないやら気に入らないやらの不満が露見したのではと感じる。


何かをひとりでやり込んで、その完成をみられるかといえば

それはひとり上手に限った話ではあるまいか

要不要の仕分けなんかそう簡単にできるものでは無いと、

特に趣味であるなら尚更だと思えてしまうががが

人間50年、まだまだ時間があるワケで…というか

西遊記と向かい合っていく上で、それくらい時間があってくれないと…とか

盆栽のような話ですわ。

雑記

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今300円くらいなのね、原稿用紙!

かつては800円とかした憶えがあるんだけど気のせいかな…

このところテーブルに向かう時間が長く

すぐ痺れるくせして、つい正座する癖のおかげで

膝下の寒さも和らぐ気がするけども手ががが


里の方では銀杏の黄色が良い感じでござんすなぁ

この時期、公園で銀杏の写生してる人を見かけたもんだけど

昨今では銀杏どころか遊具すら無いってどういう事よ

侘び寂びとは言うが、それを地でいくのはちょっと違うんじゃないのw

規模や場所にも依るとこだけど、公園にも格差社会の余波ガー

関係なさそうだけど。


さてと、来週には筆入れに移行しますかな

ピクシブの投稿は滞ってるけれども、描いてはいるんだよと

継続を自分に主張しつつ就寝。

拝顔のススメ

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西遊記を漠然とつまらなく解釈するなら、

それは「仏教のCM」なんじゃないかと考えた時期があった。

じゃあ仏教にも触れてみようと思い立ち

お寺さんに出かけてみたり、その手の本を手にとってみたりと。

爺さまの影響で道祖神や神社には馴染みがあったが、

仏教も似たような雰囲気ではあるんだなと、何となく納得したもんです。


今日、『萌えブーム』到来の余波は、

なんと仏像の世界にも押し寄せているそうで

モデルのハナちゃんもそのうちのひとりだそうな。

仏像の中で最もメジャーなものといえば『仁王像』ではなかろうか

くわと開いた口に怒号を思わせる"阿形"、

きりと真一文字に閉ざした口に怒りを含む"吽形"…

幼心に畏怖の念を覚えた人は多いことだろう。


仏像の多くは、柔和な表情で我々を見つめる。

その真意は如何なるものなのか…と仏像を見上げて想うに、

彼らは我々にとって親のような存在なのではあるまいか。

なんか語弊がありそうだが、

何と言うか、赤ちゃんが母親の顔を眺めて

その表情を真似しようとするような、そしてそこに安心を得ようとするような

そんな感覚にとらわれる感じがしてくる。

明王の憤怒相からは、"怒りで我を忘れんなよ"という

雰囲気がビシビシ伝わってくる。


いつの頃からか薄れてしまった、"畏れ"という気持ちが

カタチを変えて心に戻ってくる事がある

誰に倣うでもなければ、仏像に倣うのもいいじゃないか

乱れる心なら観音に、怒れる心なら明王にと。

自分を叱ったり諭したりってのは、しているつもりで終わる事もある

良いお顔の仏像を拝顔すると、無意識のうちに自分を叱れるものなのかもしれない。

間違いは読み物

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改めて何かを思いなおすと、間違いや勘違いに気づき

それを恥ずかしく思う反面、何かを発見したようにも思う

何と言うか、古代人の間違った知識のようなものを感じる事が稀にある。

子供の頃のノートやネタ帳を見て「うおぉw何だよその発想w」と

こそばゆい気持ちになりつつ、冒険してるなと少し感心する。


何かを表現するにあたって、正しい情報には説得力がある

しかし誤った情報にはロマンみたいなのがある、気がする

指摘されればそりゃ恥ずかしい思いもするが

ひたすら間違い続けてみるのも面白いかもしれない、

そこには正しい情報の提示も必要になるけどもーももも

自分の、今までの思惑を壊すのは必然的な事だと感じる上、

初めて体験する事もこの先まだたくさんありそうなので

それらを踏まえて、恥をかける間違いをしていきたいもんです。

恥ずかしがるけど。


*悟浄を片言になるほどぶっ壊してみると、すごく理想的になった

悟浄の話

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とことん妖怪変化っぽさの権化だぞ〜と心がけて描いてるんですよ、悟浄。

足はキャラクタコンセプトでもあるので、蹴ったり掴んだり引っ掻いたりと

アクションに於いても足もとは特に強調したいワケですよ

武器もアイテムも使いよう、手で振り回すだけでなく

地面に突き刺して登ったり、相手の肩に乗っかったり逆立ちしてみたりと

ちょっとアクロバティックな動きをさせてやろうと。


この沙悟浄にもとめるのは寡黙さとは違う、影のある人物像

悟空ほど感情的でなく、八戒ほど欲もなく、玉竜ほど奔放でなく、

玄奘ほど謙虚でない。

加減を知らないワケでなく、徹底的で完璧を心がける心根があって曖昧さを許せない

それでいて極端から極端への移行は誰よりも遅くて

自分は何者なのかを吟味したがる癖がある…とかそんな感じかなぁと。

怪物ってどこか神経質なとこあるじゃないですか、

「○○の音を嫌う」だとか「○○を見せると逃げる」とか

こういうのって、人間から見ると対処法かもしれないけど

怪物側にしてみれば「おれ流」とか「おれイズム」のひとつなんじゃないかな

姿カタチをひっくり返すような怪物らしさを、悟浄にはもっていてほしいと思う。

鹿の十月

shikato

今年の紅葉は色もイマイチで葉も丸まっちまってダメダメですな。

絵の具をまけたような感じも嫌いじゃないけど、それも山に依るかなー

それはそうと西遊記アンソロへのネタが思いつかなくて焦る、

さてどうしたもんかともにょもにょ

ヘタしたらネタ帳丸写しみたいな事になりかねないスよ

せめてカタチになりますように! 頑張るぞー!ぞー!